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2013年03月31日

思い出の旅日記(襟裳岬編)③

②からのつづき

尾岱沼のホテルを出発。野付半島の先にトドワラというのがあるというので
行ってみることにする。
海ノ中道みたいな道、右は野付湾、左は北の海と言う感じの暗い海。
左は砂浜、右は草原になっていたがハマナス群生があって花が少し咲いていた。
野付半島の先端のトドワラ、上高地の大正池のような白骨化した木が何本か立って
いた。大正池の木は焼岳の噴火が原因であのような木になったそうだが、ここの
トドワラはどうしてこんなになったのかな?

右に海を見ながら一路羅臼目指す。
結構交通は頻繁、羅臼で昆布を買うことにしてお店(道の駅?)に立ち寄る。
きれいな昆布がお得な値段で買えラッキー。お店の人と話していたら友達の
勤め先(明太子屋さん)のお得意さんということがわかった。こんな遠い所で
日本は狭いなぁ!
コーヒーを飲みながらあの島は何処ですかと聞いたら「国後島」だって!
海を隔てること25kだそうです。目の前なのに遠いソ連の物だって、悲しいですね。

知床の先、行ける所まで行ってみようと言うことになった。途中には洞窟にひかりごけ
がある所があって行って見たら、この日も曇り空だったので奥の方が黄色に光って
見えた、晴れた日は陽が翳った方が良く見えるのではと思う、道が途切れる所には
熊のカレーという看板があってびっくり。どんな味かな?

引き返して知床半島を横断。
川に沿って登っていたら「熊の湯」というのがあった、橋を渡って行って見たら素朴な湯
無料だけど清掃費を気持だけと書いてあったので100円入れた。女性の湯には簡単な
更衣室があったが、男性の所には何もなかったそうだ。乳白色のつるっとしたお湯、
川のせせらぎを聞きながらなので癒された。私達はいいお湯加減だったが、男性は
熱かったので水を入れたら一緒に入っていた人に怒られたそうだ。
また川を渡ったら何故か毛蟹を売る若者が居た、何でこんな所で売っているのだろう
とみんなで話す。

ここからは雲の中か霧がまわりを囲む。
私は湯あたりしたのか霧の中だからか車に酔ってしまう。
それでも知床5湖だけは見に行く。少しは良くなったけどどんな所だったか覚えていない。
後は車に寝たまま、オシンコシンの滝も見に行かず、斜里町のドライブインで昼食したの
だけど、他の人は美味しいそうにいろんなものを食べたけど、頼んだラーメンもほとんど
手が出なかった。

網走を中止して、北見を通り今夜の宿を目指す。
温根湯に来る頃は気分の良くなってまた道の駅に寄る。北海道と言えば豆類と言うことで
白い豆を買って姉にお土産と言って渡したらこれはここにもあるよと笑われた。

今日の宿は
つるつる温泉、温根湯の近くと言っていたが畑の中を行けどもない、大丈夫かなと
思っていたらようやく着く。
町営の国民宿舎、部屋に行ったらお布団2ッ敷くとぎりぎりと言う狭い部屋、
先に食事をしてくださいと言われたので行ったが鮭のルイベ、アスパラなど
地元の食材がふんだんに使われていた。
ここも福岡の人は初めてと言われにわかせんべいは喜ばれた。

食事が終わってお風呂、地元らしき人が大勢来ていた。
お湯に入ってびっくり、名の通りつるつる、ぬめっとした肌触り、肌にまとわりつくと言う
感じ。色んな所のお湯を経験した私もこんなお湯は初めて、お湯は透明なのに驚いた。
湯船は広く、子供達は泳いだりしていた。疲れると思ったが夜中と朝また入ってしまった。

④へ続く





  


Posted by 室井孝子 at 21:29Comments(0)思い出の旅日記

2013年03月20日

思い出の旅日記(襟裳岬編)②

①の続きです

友達のご主人も風の音で眠れなかったと言っているが運転はだいじょうぶ?

襟裳の町から少し走ったら左は見上げるような崖、右は千尋の海!
という凄い道路、工事があっていて一車線、おそるおそる通る。長い時間
かかったような気がするが40分位だったようだ。私の運転じゃなくて良かった!
突然広い所に出る。名前が広尾町だって、名前の通りだな。

海に面した所にお店(今思えば道の駅?)があったのでトイレ休憩とコーヒー
タイム。運転、緊張したでしょう!ご苦労様。

地図を見るとこれからは海を見ないで走ることになりそう。
なんだか寂しそうな風景画広がっていた、気のせいかな?

白糠などを通りながら釧路湿原を目指す。
釧路に着いて最初に丹頂鶴を見に行くことになり右に釧路湿原を見ながら
鶴居村へ。
6月なので居るかなと思ったが金網越しに見ると怪我をして飛べないのか
帰りそびれたのか10数羽位の丹頂が見えた、やはり頭は赤かった。
この時期なので見物人は私達だけだった。

元の道を戻る途中に釧路湿原展望台と言うのがあったので見てみた
上から見る限りでは唯の草原にしか見えない。
ビジターセンターに入ってみると、いとう(幻の魚)等水中の生き物や鳥達の
絵が展示してあった、丁度鳥が鳴いていたけどどの鳥だったのでしょうね。
尾瀬みたいな木道が作ってあってうっそうとした森の中を散策、水中を見たけど
何にも見えない、曇っていたのでちょっと夕方のよう。一時間ほどして帰った。
草原を想像していたけど・・・。他の所の木道は草原の中でしょうか?

昼食は釧路市場の2階の食堂
どんぶりが有名らしいので注文、のってるのってる、こちらでは今までになかった
カニが、しかも花咲がに。他は刺身など。またまたぶーちゃんになりそう!

北海道で地震があった時私達がいた食堂の上から釧路大橋(?)の水位の変動
を映す映像が流れていたのでとても興味を持ってみた記憶がある。

厚岸を通る、霧多布を通りたかったけど時間が無くて風連湖を右に見て尾岱沼温泉へ
ここは海に面した所なのか塩湯と言う感じ。
私達は走る都合で尾岱沼に泊まることになったのだが、ここは凄い所だという
事がわかった。
夕食はえびの踊り食い、ホタテの大きさと、とろける美味しさ、もう最高!
朝方なんだか騒がしいなと思っていたら、このえびの踊り食いのためだけに
夜中に札幌を出るツアーがあるとかで、4時半に頃に着いたみたい。

北海島えびといって世界でここだけにしか生息していないらしい。
私達が朝食をする時、ツアーの皆さんがわいわい言いながら喜んで食べていた。
ホタテは朝も出たけど、夕食で出たえびがそんな由緒あるものとは知らず食べて
しまって残念。でもおいしかった!

カメラマンもツアーできていた。
なんで?と思ったらこの尾岱沼では夏至の日に光の屈折で太陽が四角く昇るし
北海島えびを獲る舟は四角いほかけ舟、絶好のカメラポイントだとか。
そうだった今日は夏至だった、でもこの日は曇りで皆さんがっかりしていたが
えびを食べてまたどこかに行ってしまった。
四角い太陽と帆掛け舟の風景はホテルに飾ってあった写真で見ることが出来た。
偶然だけど凄い所に泊まったのだなあ!晴れたら良かったのに!

③へつづく







  


Posted by 室井孝子 at 22:55Comments(0)

2013年03月17日

思い出の旅日記(襟裳岬編)①

今度も4人で旅行、利尻に行った時泊まった旭温泉では福岡の人は
初めてと言われた、今度もきっと言われる所だろうと思ったので
「にわかせんべい」をお土産に持っていくことにしました。

襟裳岬に行った頃は福岡発千歳行きは8時発だった。6月に行ったので
日も長く、長時間の行動が出来た。
まだナビが無かったので助手席の人が地図とにらめっこでナビをした。

10時半過ぎに千歳に着きレンタカーを借りる。日高までの高速は完成し
てなかったが、普通の国道と平行で走っているので完成しても利用する
人はいるのかな?

鵡川の町を走っていたら所々にシシャモの看板、ここは日本で唯一のシシャモ
が獲れる所らしい、で、昼食となる。
まだ新しい食堂に入る、シシャモ定食を4ッ注文。来たものを見て本当にこれが
シシャモですかと聞いてしまった。
それはいわしの大きな物くらいあってお腹は盛り上がっていた、卵が目いっぱい
詰まっていて、香ばしく焼けていて本当に美味しかった。
あの時まで柳魚みたいな魚がシシャモと思っていた。
あれから鵡川を通るたび買っている。

左に太平洋を見ながら日高を通り過ぎ新冠へ
競走馬が好きな友達が新冠までヤマトなんとかを見にっていると聞いたので
新冠に寄ってみた。
山のほうに向かってサラブレット銀座と言うという道路があって左右の柵の中で
足の長い馬達が優雅に草を食んでいた。
その中に「トーカイテイオー」(?)だったか立派なお墓があったのでお参り。
元の道を下って突き当たりに競走馬の記念館があってみて廻ったけど、馬に
興味の無い私は名前をほとんど覚えていない。
展望台から見た太平洋は雄大でまあるく感じた。

浦川を通る、ここは大きな地震があった所で道路に面した町並みは軒並み
新しかった、全滅だったのでしょうね。

襟裳岬には4時半に着く
「風の館」は5時までというので中を急いでみて廻る、北の大地の高山植物や
海の魚達が段々の回廊に展示してあった。
最上階の展望室に上がると岬の先の岩場が見える、何かが動いている、アザラシの
ハーレムだそうで、いまでいうゴマフアザラシの大群がいた。

今夜の宿は
襟裳岬から少し下った町中にあった。お風呂は大浴場だったが風が吹いて寒い、
夕食は豪華で海の幸がふんだんに使われいたが、ほやの酢の物だけは手が
出なかった。 作った方ごめんなさい!
部屋は洋室で2重窓になっていたが一晩中風の音で眠られない。
「かぜはひゅるひゅる波はざんぶりこ」の歌の通り、朝フロントに聞いたら昨夜は
まだ良い方だとか、ひどいときはどんなになるのでしょうね。

外に出たらお母さんが子供を学校に車で送っていってた。子供が少なく学校は
遠いとのことだった。

  


Posted by 室井孝子 at 15:25Comments(0)

2013年03月11日

時計を洗濯

先日洗濯機から衣類を取り出し、残りは?
と覗くと光るものが・・・・・時計?

義母の形見の時計を洗濯してしまった!
もう駄目だろうけどと思ったが部品を拾ってみた。
洗濯槽の中には時計と裏蓋がある。
無いものは? 電池が無い!
ボタン電池だから水と一緒に流れたのだろう!

何日目かの今日ボタン電池を買ってきて入れてみた。

なんと前と変わらず動いている。
時間も遅れない! ちょっと裏蓋がずれてるかな?っ程度。

凄い、ボタン電池だからそんなに古い製品ではないだろうと
計算したら最低20年以上は経っているものです。
それでも凄い!

なんだか綺麗になったよう、日本製の時計は自分で
クリーニングしても大丈夫みたいです。ウフフッ。

  


Posted by 室井孝子 at 22:55Comments(0)

2013年03月09日

百人一首

こんな大会があっているなんて知らなかった。

甥の女の子が百人一首の大会に出場するという。
エッ?何? 百人一首よ、学校代表で出るのよ。
これを姉から聞いて、凄い! そんな大会があっているなんて!

今日その大会が大濠公園の中の日本庭園の中にある会場であると言う。
行ってみて驚いた。小学生の大会だったがこんなに人口がいるなんて!

対戦は6人とあたるが年齢別ではなく6年生も1年生でも総当り!
静寂の中で席につく。甥の女の子は3年生、ちょっと小さめなので
体力では負けるのではと心配。

相手に自分の名前と学校名を言って握手して
相手の表に自分の名前を書いていた。

丁度私達の前の席で対戦、落ち着いている。
初めに1札取った時はほっとして小さく拍手。
時計回りに対戦相手を変えていくシステム。
相手は上級生が多かったので2勝4敗。
24人中14位とか、来年からは4年生、5年生、6年生と
きっと強くなると思う。

また楽しみが一つ増えた。来年もきっと見に行こうと思った。

福岡に住みながら日本庭園があることを初めて知った。
まだまだ知らない所が多いのではないだろうか!

良い天気だったので3組の新婚さんが
結婚式の写真の前撮りがあっていてきれいな花嫁さん達だった。


  


Posted by 室井孝子 at 19:12Comments(4)

2013年03月07日

法名を頂きに

次姉夫婦は法名を頂いていなかった。
受けに行くというのでまた3夫婦で行くことになった。

行きの新幹線ではシートにコーヒーをこぼすという大失敗をしてしまった。
ところが何処から見ていたのか車内販売の方がすぐに来てくださり、床に
こぼしたものを拭いて頂きまた車掌さんまで来て拭いて頂き本当に嬉しかった。
汚れたシートをガバッと取って代わりのものを持ってきてはめた。
あんなに簡単のシートが取れるなんてビックリ。
車内販売の方と車掌さんの親切がとっても嬉しかった。

最初の日は本願寺に手続きをに行ってその後
父母が納まっている納骨堂に父母に会いに行く。凄い数の納骨堂があり
番号を覚えてなかったので教えていただく。読みづらい地名を簡単に読まれた。
私は飯塚出身だから読めましたと言われたのでこの方に親近感が湧いた。

その後清水寺まで歩き三年坂、二年坂と歩いて高台寺を見物に行く。
ここは何回来ても落ち着く。傘亭では中国の人が説明をしていた。
ちょっと違和感。
階段を下りたら素人の舞妓さん、
たくさんの外人さんが写真を撮っていたので私も一枚、パチリ!







夕食はホテルの地下の居酒屋。京の野菜を使ったものが多かったので良かった。


朝4時半に起きる
準備を整えて5時半に開く本願寺に行く、ロビーでは私達6人だけ、?
聞くと姉夫婦だけのおかみそりの儀だとか、私達の時は50人だったので
少なさにビックリ。6時からお御堂でお勤め。凛とした空気の中での抑揚の無い
男声合唱団? お経は解らないが声に聞きほれる、この雰囲気とこの声が聞き
たくてまた来てしまった気がする。
その後たった二人のおかみそりの儀。
姉が二人分の法名をご門主様から頂き、義兄は帰経文を読み、ご門主様からじきじき
しっかりと目を見られて二人に話しかけられて、圏外にいた私達まで心に染み入るお話
が聴けて感激いたしました。
立った二人で受けられるなんて姉達は本当にラッキー、 
法名のいわれを書いた紙と法名を頂き喜んで帰ってきました。

朝食は京都駅の英国屋
食器全部がウエッジウッド。割ったらいけないと緊張してしまう。
京都駅は天空の城みたいになっていた。







この日はジャンボタクシーを借りて観光。
最初は三千院・・運転手の方が説明してくださり、阿弥陀様にあの世に行っても宜しく
と願い、ようやく通る細い道を寂光院まで行ってくださり、受付の男性が福岡の方だったり
して、昼食は運転手さんのお勧めの鳥専門屋さんに行った、お勧めだけあってお得で
とっても美味しかった。運転手さんもご一緒にといったけど規約で駄目といわれる。
その後一般ではなかなか行かないという正伝寺に参る、血の天井が有ったり、
枯山水の庭の借景が比叡山という豪華な風景を初めて見せていただいた。







夕食もホテルの地下の昨日と違う居酒屋。
こちらは京のおばんざいだけだったが美味しかった。
烏賊と大根のたいたん、鯖の棒すしなどたくさん食べたけど名前を忘れてしまった。

次の日は
歩いて東大寺へ、五重塔の冬だけの公開があっていて良かった、ボランテイアの方が
この時期だけ説明をしているとかで4回火災にあった、今のは家光の時代に出来た。
地震で他の建物は壊れたけどこれは各階ごとに別々に動くようになっていて揺れを
逃がすようになっているて、これが東京のスカイツリー建設に生かされていると
話されていた。中の心柱はとっても大きかった、50mある棟を支えているのが良く解った。
仏様方も1600年代に出来たにしては新しかった。日常的に公開してないからかな?

それからまだ一度も言ったことのない錦市場に行ってきました。450m続いているとか。
担過市場を大きくしたものだったがいろんな物を売っていた。観光客ばかりが多くて
商売になるのかなと思ったが夕時は町の人たちが買いに来るのだろう!

おかみそりの儀も厳粛だけどゆったり、
ゆったり見物してゆったり買い物してゆったり食事してとても有意義な旅行でした。




  


Posted by 室井孝子 at 22:20Comments(0)

2013年03月02日

思い出の旅日記(利尻・礼文編)

今まで友達夫婦と4人でたくさん旅行をしてきました。
美味しいもの、人の訪れないような所にも行ったのでこれから訪れる方の
参考になればと思い日記を書くことにしました。
地図をたどりながら読んでいただけたら楽しさがますことと思います。

まずは北海道利尻・礼文から

千歳空港でレンタカーを借りました。
まだまだナビが珍しい頃で説明を受けていざ出発。
道央道を北へ向かって走り、深川ICより留萌を目指していたら
突然「リルートします、リルートします」とナビが甲高い声で言い出しました。
「リルートします」? 何のこと? 道を間違ったと判った。
それからも時々言うので「ナビが自分の言うことを聞かないとおこちょるよ」と笑い
今でも私達の語り草になっています。

留萌は友達が転校して行った所、思いで深い地でしたが大きな橋の上から眺めただけで
右に曲がり北上。 
30分位で鰊の番屋に着きました。大きな家(再現)でヤン衆が寝る所が囲炉裏を囲んで
四角くあったのを覚えています。大きな材木が使われていたことが印象的でした。
目の前の浜辺は遠浅。ここで鰊を積んだ船をエンヤラと引き上げていたのでしょうか?
夕日が落ちていくのがきれいでした。
今思えば隣に「道の駅」があったような気がします。まだ有名ではなかったので
ほとんどの所を素通りしてしまいました。 「道の駅」は北海道が発祥地だそうです。


今夜の宿は旭温泉
国道から右に曲がって行けども行けども家も無い、心細くなった頃ぽつんと一軒家。
予約した私はほっとする。 考えたらナビを信用してなかったなぁ!
温泉は鉄分が多いのか真っ赤な色をしていた、遅かったのにお客さんがいないのか
一番風呂。お料理は覚えていないが食事の途中で停電、蝋燭の灯りでムード満点。
食事の後夫達にオンザロックのウイスキーをプレゼントされた。
氷はオホーツクで取ってきた流氷だとか、ウイスキーの中でプツプツと気泡がとけ
遠い国からの旅に思いを馳せました。夫達には良い思い出になったようです。

次の朝、鳥のさえずりで目を覚ました、時間は5時? 北海道は朝が早い!
出てみると廻りは雑木林。
大きなねずみ位のえぞりすが何匹もちょろちょろ。可愛くてカメラでパチパチ。
誘蛾灯の下には手のひら大の蛾がたくさん死んでいて大きさにびっくり。
さすがでっ海道〈北海道〉と納得。


また国道に出てサロベツ原野に向かう
9月半ば(6月と勘違い)だったからか展望台からの眺めのサロベツ原野は茶色の世界。
花が咲き揃う頃は美しいのでしょうね。日本にもこんな広い所があるのねと少しだけ散策。
突然携帯がなる、今どこ? 今日来れる?と親戚から電話。今日はいけないよと返事。
今の世は不在証明(アリバイ)は難しい?

利尻富士を左手に見ながら丘陵を上り下りし、一路稚内へ。
普通の道路で110キロ出しているわが車を疾風のごとく追い越していく。
150キロ出しているのでは?
北海道で事故が多いということが分かる気がする。
ダンプはゆっくり走っている? 早く走ると仕事がさばけて仕事が無くなるからとか!
所変わればと思う。

間違ってなければ・・・・風車がたくさんあったような気がするが・・・・・。

稚内では氷雪の門を見る・・・・サハリンで亡くなった人を慰霊する。
九人の乙女の像・・・樺太の真丘の電話交換を最後まで守ってソ連軍の侵攻で
自ら命を絶った九人の乙女の記念碑。映画で「これが最後です、さようなら・さようなら」
という声が聞こえてくるようです。樺太に向かって建っています。
樺太出身というのが記憶に無い友達に「着いたよ、氷雪の門をみているよと」電話しました。
まだここに来たことがないといっていました。

船で利尻へ・・・・・荒れる海と言われていたが今日は凪。
鷲泊港に着いたらお腹がすいたので乗船場の上の食堂で昼食。
うに丼を頼んだらもうビックリ!
大きなお椀の上にもうこれ以上は無理というほどうにがたっぷり。うにが有名と聞いていたが
これほど乗せていいのかと思うほど。美味しさも量もあれほどのものには後にも先にも
お目にかかっていない。
夫達は三色丼でうに、いくら、ほっき。私達の方を羨ましそうに見ていた。
友達とやったね! 来て良かったねとうなずきながら頂きました。

満腹になって島内見物
まずは見返し展望台へ、途中まで車で行き後10分歩く。
雑木林の間から海がきらきら。
見えたのは礼文島、逆光だったので春霞がかかったみたいにボーっと見えた。
次はペシ展望台(?) こちらは鷲泊港が見える所。
5~6Mの幅の岬みたいな所を這うように登っていく、直角に上がっているようで
怖い。高さはどの位あるのかなぁ? 見た目より高い!
頂上は広くなっていた。
眺めは稚内だと思う陸地がかすかに見え、後ろを見ると利尻富士が目の前に
迫ってくるようでした。くだりがもっと怖かった。岩に砕け散る波がもろに見え
このまままっさかさまに落ちるのではと思うほどでした。


宿は鷲泊の旅館
温泉だったのが嬉しかったしお客さんも各地から来ていた。
私達は4人だったので大広間の隅っこで、料理は印象に残っていない。

次の日は礼文島へ
鷲泊港から40分位で香深港へ
北の果のスコトン岬へ行くことになり細い道を延々と。
ガソリンを補給しようということになり小さなスタンドへ。
その高かったこと、本土より10円は高かったような気がする。

道の狭い割りには石ころだらけの駐車場?見たいな所は広く取っているなぁ
と思っていたら、そこは昆布干し場だった。波打ち際まで広がっていた。
天気が悪かったので干している所はなかった。

スコトン岬は芝生や低い潅木に覆われていた。あれが樺太か?かすかに
島影が見えた。
岬の先にも小島が点々とあり海峡みたいになっていた、波が荒く北の果まで
来たなぁと思う。崖の下には小屋があって昆布がたくさん重ねてあった。
物干し竿みたいのも見えたのであれは今から干すのだろうか?
とにかく風が強く寒かった。
スコトン岬と反対にある桃岩展望台に登る、展望台からは利尻富士が目の前にあった。
下りはまっすぐ海に向かって一気に降りて海を隔てて突き当りが利尻富士と言う感じ
だったが下りの途中友達が捻挫をしてしまった。稚内でシップしたけど腫れはなかなか
引かないのでこれからの行程は歩かないで済むような所を見て廻った。

花の島といわれているので6月、7月だったらたくさんの花が見られたかもね。

帰りも同じ道を引換えし、香深港でもう一度うに丼を食べることになり
本に出ていた所に行ってみたが、量も少なく夫達はがっかり。
それでも港近くのお魚やさんで子供達に雲丹を送った。
やはり安かった。

香深港から稚内へ
行きと違って海は荒れていて酔ってお魚にえさをあげてしまった。

稚内に泊まったが、電話で予約してお得なホテルと思ったが名前の割には
驚くほどひどかった、ビジネスホテルにすれば良かったと後悔。


防波堤ドームを散策、延々と続く感じ。アーチ型になっていて風が通らず暖かかった。
近くに市場があり花咲かにが大きなものでとてもお手ごろ感があったので
自宅と兄弟に送ったので高い買い物になってしまった。

稚内空港を右に見て宗谷岬を目指す。小雨が降り出したので遠望が利かない。
小さな岬を何度か曲がり宗谷岬に着く。日本最北端のモニュメントを見て朝食。
一番近い岬の前の食堂で、特製ラーメンを頼んだらまあたくさんの海鮮が入っていること。
かに、いくら、ホタテ、ほっき貝や名前の分からないものがたくさん!
夫達は食べてしまったが、女性はトッピングだけでお腹いっぱいになってしまった。

岬から登った所に日本一の牧場があると聞いたので行ってみた。
まずは絞りたての牛乳を頂く、暖かいのに脂肪が解けずに上のほうに層を作っていた。
こんなの初めて、牛乳嫌いな私も美味しくいただけました。
外に出てみると丘がうねうねと続いていたが見える範囲は全部この牧場ということだった。
日本にも大規模牧場があるのですね。牛の姿は見えなかった。

オホーツク海を左に見ながら帰る、猿払村の道の駅によって見た(道の駅というのを知った所)
ここはホタテの養殖が有名だとか、ゆでたホタテがたくさん売られていた、海を見ながら走ったが
どこにも養殖場は見えなかった。日本で初めて猿払村でBSEが出たので忘れられない村になった。


白鳥で有名なクッチャロ湖があったので寄って見た、湖面は黒かったし白鳥が何羽か遠くで
泳いでいた。もう来たのか、帰りそびれたのか?お土産屋さんは一軒だけあったがしまって
いたので聞けなかった。

浜頓別から内陸に入る
音威子府では人が集まっていて(といっても少人数)何か模様し物があっていた。
公園でトイレ休憩をしたので模様しものを見たけど理解出来なかった。何だったのかな?

名寄、士別と帰って和寒から(ここまで高速が出来ていた)道央道に乗って空港で
レンタカーを返却した。何百キロ走ったか記憶に無い。


次回から襟裳岬編を書きます。






  


Posted by 室井孝子 at 11:42Comments(0)思い出の旅日記

2013年03月01日

RYOKOさん

RYOKOさん有難うございました。

梨の蜜を美味しく使っていただき有難うございました。
早速我が家でも卵焼きを作ってみた所、
夫が大変美味しいと喜んでくれました。
魚は煮ていたのですが卵焼きは初めてです。









昨日から私の家や携帯にもたくさんのお電話を頂き
また農協にも、もう400本からの注文が届いたそうです。
RYOKOさんのお陰です。
有難うございました。

私達もしっかりノウハウを伝えてまじりっけの無い物を作って
いただきますので、どうぞ梨の季節の9月までお待ち下さい。

余談ですが
部外者の私が思うことは

杷木(朝倉も)の梨が美味しいのは梨農家の努力と日向の里と
いわれるように、太陽がさんさんとふりそそぐ南面のあるからだと思います。
また、志波の柿も南面だから美味しく皆さんに喜ばれています。


今、果物農家も働き手がいなくなったり高齢化、また価格が安く果物だけでは
生活できない状態になっています。
梨の蜜がなくならないようにするためにもどうぞ梨(果物も)をたくさん食べてください。
お願いします。



  


Posted by 室井孝子 at 17:18Comments(2)